こども食堂ができるまで

【きっかけ】②子ども食堂ができるまで

訪問して頂きありがとうございます。

東三国 こどもカフェ たこばななです。

 

なぜ東三国に子ども食堂を作ろうと思ったのか、今までの経緯と
これからどうやって子ども食堂が出来上がっていくのか、
オープンまでの出来事などを書いていきたいと思います。

きっかけは「子供たちのために何かできることはないか」

まさか、自分が子ども食堂を運営しようとするなんて思ってもみませんでした。



いまから約3年前の2015年ごろ。
はじめて子ども食堂の存在を知り、その活動に共感したことと、
私も何かできることをしたいと思い、寄付をはじめました。

その頃はまだ子ども食堂の数は少なくて、インターネットで検索すると
まともにホームページができていたのは、大阪では2件ほどしかなかったと記憶しています。
そこから毎月自分のお小遣いの中の一部から、交互に寄付を続けることに決めました。

近所にも子ども食堂ができてないかしら

それから昨年2017年の秋ごろになって、近所にもそろそろ出来ていたりしないのかな?
と、ふと思いがよぎり、インターネットで検索をしてみたところ、
なんと、同じ淀川区で十三方面に4か所もできていたことが分かりました。

画像は2018年3月7日時点の状況です

引用:淀川区内のこども食堂・宿題ひろばについて
<www.city.osaka.lg.jp/yodogawa/page/0000404948.html>

しかし、東三国から子どもの足で行くには距離があって、
参加するにはハードルが高そうという印象が。

もしこの近くに助けが必要な子どもがいたら?

すると、私が子どもだったころの記憶が、突然目の前にあらわれます。

遠足にお弁当をもってこれなかったり、いつも洗濯されていない服をきて
「おれなんかどうでもええねん」が口癖だった子のこと。
よる一人で留守番をして、いつもさみしくて怖い思いをしていると言っていた子のこと。

それに、わたしの息子が小学生だったころ、土日にお昼ご飯を食べていなかった子もいた。

今まで思い出したこともない事が、次々と鮮明にでてきて
いまも困っている子がいるんじゃないかと思うと、居てもたってもいられなくなりました。

自分でもまさかの展開に

「ない。ということは作るしかない?!」

とよぎってしまいます。

「ちょっと待って!まさか自分が子ども食堂の運営だなんて。
そんなの出来るわけないし、ありえへんわ~!」むりむりむりむりー

「いや、出来ないなんてわからない。
作りさえすれば、子ども食堂がない事自体は解決するのだから、それでいいやん。」

「いやいやいや、ちょっと冷静になって考えてみい?な?
誰に頼まれた訳でもないし、必要とする人も居ないかもしれへん。」

自分が二人いる感じに。

そして「やろう、行動しよう」と思う自分がいることに驚きました。

「きっと、一時の気の迷い。ちょっと興奮して頭おかしなったんやわ」
と、思うことにして、クールダウンするために、その気持ちを1か月ほど放置することにしました。

1か月後

「やろう。それしかない。」

あ~やっぱり私はやる気なんや~~涙。。笑。。

本当に助けを必要としている子どもが居たら?
その子が自分から助けを求めるのを受け身で待ってたって、
きっと何も始まらない。

私はその子の傍に居ることくらいしか出来ないかもしれない。

まるでポンコツ船の船長みたいだ。

それでもきっとその子を見つけて、命を助けることなら出来るはず。

何もせずに後悔したくない。

それに、やりたいと思った自分への責任もある。

しゃあないな、やるしかない。

でもどうやってやればいいんだろう。。?

そう思っていた頃、ふと、いつもはあまり目を通さない、
地域の情報誌がなぜか気になりました。

開いてみると。

「はっ!これやん!!」

はじめの第一歩がここにありました。

なんとそこで、ある人たちと出会うきっかけになった講演を発見!

引用:森栗教授の「子どもの 居場所づくり講演」
<http://www.city.osaka.lg.jp/yodogawa/cmsfiles/contents/0000412/412573/yodomaga17-10_p16.pdf>

この出会いの続きは次回のブログでご紹介します!

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